これまであまりワールドクエストのことを語ってきませんでしたが、最後にかかせていただきます。

日本でソーシャルゲームが生まれたのは2010年、mixiのプラットフォームのオープン化から始まりました。

当時在籍していたベンチャー企業では開発責任者として、クラウド事業を推進していたこともあり、ソーシャルゲームに参入したい企業様からクラウド支援でお声がけいただき、ご一緒するなかで、開発もお手伝いさせていただいて、「自分たちでもゲームをつくりたい」という流れになりました。

そのプロジェクトが始まったのは2010年の秋から冬ごろでした。
その時点では、まだ「ソーシャルゲームを作ること」しか決まっていませんでした。

そんななか、プログラマのSさんがいくつか企画を持ってきたうちの1つがのちにワールドクエストとなる、世界旅行をするゲームの企画でした。

当時、まだ世に出ているソーシャルゲームはどれも似たような内容のものが多く、どれも「有名タイトル●●の××版」で説明がつくような状態の中、Sさん企画の世界旅行ゲームは「面白そうだけど受けそうかどうかのイメージが全くわかない」というのが正直な感想でした。

Sさんは当時も、その後の今でも私が一緒に仕事をしてきた仲間の中でも一番の凄腕プログラマーであり、技術だけでなくバランス感覚にも優れている一番信頼できる仲間です。

彼は若い頃から仕事をして時間と資金を作っては世界中を旅行したり勉強にいくような活動なタイプであり、更に私からみるとかなりのゲーマーでもあり、彼が言うならという思いで、世界旅行ゲームの開発スタートを決めました。

しばらくはSさん一人でゲームの仕様つくり、開発を進めていきました。一般的には3,4人で半年はかかるような内容を一人で1、2ヶ月くらいでコア部分を開発をして、今のワールドクエストの元となるようなゲームの骨組みが出来上がりました。アイデア、スピード、質ともに控えめにいって異常です。

この時点で言語スキルの類似言語の仕組みやリアルな距離や移動速度による移動の仕組み、街で行動してルートを発見していく仕組みはすでに開発されてあり、ゲーム好きかつ旅行好きの彼のこだわりの強さが発揮されていました。

このあたりから私はプロデューサー兼プログラマとして参加し、名所、アバター、宝箱などの機能を追加したり、Flashを作ったり、企画をもんだり、イラストレーター、デザイナー探し、組み込みなどをし、パブリッシャー、プラットフォーム側と相談をして調整をしつつ、最初のワールドクエストは2011年4月にグリーで公開となりました。

その後、5月に私は独立して自分の会社をつくりました。ベンチャーの創業前から自分の会社の立ち上げを準備をしていたときに3年手伝ってほしいと言われて参画したこともありましたが、4年半での退職し、自分の会社を起業しました。

ワールドクエストの運営自体は、システムもサーバもデータもアバターもどれも複雑で他の人が担当することができず、私とSさんがそのまま引き続き、担当していました。

運営を続けていきましたが、収益化が難しく、サーバ代さえも出し続けることが困難なレベルになり、1年半で終了となりました。

本来、もっと早い段階で終了を決められるところを、パブリッシャーの担当の方にはとてもよくしていただき、何度も収益を上向かせるための挑戦をさせていただきましたが、挑戦で結果が出せず、しかもだいぶ限界をこえてしまっていたこともあり、私の判断で終了を打診し、受け入れていただき終了となりました。

終了のご報告をさせていただいた際、全く予想していなかったことがおきました。多くのユーザーよりとてもあたたかいお言葉をいただいたことです。協力いただいているパブリッシャーに自分から終了の打診をしておきながらも、もし自分が開発資金を準備できたら、将来、私の会社として再度ワールドクエストをリニューアルし、新生ワールドクエストとしてリリースさせていただけるようにお願いをし、快く受け入れていただけました。

このとき、業界に詳しい知人に何人にも相談しました。たとえ、ゲームを愛してくれるユーザーが一定するいたところで、一旦終了したゲームをリニューアルしてリリースして、大きく化けて大ヒットになる可能性は低いだろうと。しかし、それはIT業界の中にソーシャルゲームが生まれ、大きく成長していく数々のタイトルや裏側の運営者、開発者、出資者の声なども直に聞く機会に恵まれていた自分には、「やっぱりそうだよな」という確認でしかありませんでした。

そもそも儲かるから作ると考えるには、ワールドクエストはあまりに複雑すぎる上に、他社ゲームと比べてお金をかければ強くなる、他のプレイヤーを出し抜けるというポイントは殆どありませんし、キャラクター萌するようなゲームでもありません。

他にないゲームをつくって、そこに熱狂してくれたユーザーがいて、待ってくれているということが全てでした。

まずは開発するための資金がないので、他の会社のゲーム開発を手伝いながら、ワールドクエストのリニューアルの構想を膨らまし、少しずつ企画、開発を進めて、2012年11月末に、リニューアルしたワールドクエスト(ワールドクエストG)をグリーに公開することができました。新生ワールドクエストはついに、自社の名前で提供することができるようになりました。

新生ワールドクエストでは、前作からあったアバターをより高品質なものにして、世界中を旅するだけでなく、世界中の衣装やイベントの衣装、部屋を飾る楽しみ、世界遺産で一緒に写真を取り、より旅行している雰囲気を出して旅をたのしめるようにしました。

また、前作でとても長い時間楽しんでいただいている方々のことをかんがえると、せっかく長いお時間お付き合いいただくなら、楽しいだけでなく、「ためになってほしい!」と考えて、街人のセリフや各種言語での挨拶、クイズなどをてんこ盛りに盛り込みました。

グリーでのリリース直後、スマホに最適化し、サービス提供のメインはスマホでガラケーはあとでリリースする予定だったのですが、前作から待っていただいていた方の多くがガラケーであることがわかり、急遽リリースしたばかりのゲームを非公開にして、急いでガラケーに対応したことがありました。

フォーラムでは「今は五十嵐さんがガラケー版開発をしていて寝てないからバグがあっても問い合わせしないでおこう」なんて会話を見かけたこともありました。

リリース直後のユーザーが一番増えるタイミングで非公開にしていたこともあり、スタートからつまづきながらも、モバゲー、ワクプラ、エンタグ、アプリヒルズと少しずつ対応プラットフォームを増やし、少しずつ利用者も増えて運営を安定させることができました。

スタッフも増やし、順調に運営をしていましたが、長くその状態を続けることは難しく、次第に売上は減少していきました。

運営チームの解体や様々なコスト削減をしながら、新しい開国や新機能を少しずつ追加するなどをして逆転を目指し続けましたが、大きく改善することはできませんでした。

それでもジリ貧になりながらもなんとか辞めないための努力をつづけましたが、無理も大幅に限界を超えてしまいました。
会社として事業として成立しないレベルは1年以上前にこえてしまっていました。

新生ワールドクエストがグリーに登場してから6年以上の間、リリース初日から毎日、ずっと継続して連続ログインが2000日を遊んでいただいている方もたくさんいらっしゃいます。他にもゲームの中でこまった人を助けてあげたり、ゲームの外でも友達に紹介してくれたり、運営が困ったときにいろいろなアドバイスをくださったり。

「自分たちが作ったゲーム」であるワールドクエストはいつしか、ユーザーみんなで育てたゲームとなって、6年以上の長い期間、移り変わりの激しいゲーム業界の中で小さいながらも確実に成長し、生き続けることができました。

皆様に愛され、育てていただいたワールドクエストはここまでとなってしまいましたが、とても充実した時間を共有させていただきました。

これまであまりワールドクエストを語ってこなかったのは、いくつかの理由があります。
1つは私があまり旅行をしないこと。旅行自体は楽しくて好きですが、海外旅行は2,3年に1度くらいでこれまで行ったことがあるのは、ロサンゼルス、グアム、中国くらい。ワールドクエストを楽しんで頂いてる皆様の知識と比べて自分にはほとんど実感としての知識も経験もありません。

また、おしゃれにも疎く、アバターに関してもイラストレーターさんのアイデアやセンスに毎回感激し、イベント、クエストやバランスはシナリオライターさんの緻密さと感覚にのっかりっぱなし。

そんな自分ですから新機能の企画やアイデアを考えてはスタッフに聞いてもらったり、勢いで作って出して皆様に叱られたり、アドバイスを貰って方向修正をしたり。

ゲームも人並みには好きですが、ゲーマーとは口が裂けても言えませんし、様々なゲームでもランキング上位になったこともありません。

有名タイトルのゲームプロデューサーがYoutubeやインタビューで堂々と「皆さんに楽しでいただけると思います」という姿が眩しくて、自分はワールドクエストのユーザーにちゃんと自信をもって「楽しんでもらえます」とはなかなか言えなくていつも不安ばかりでした。

毎日楽しんでいただいている皆様が、とても知識、経験も豊富でセンスがよく、コンテストでは組み合わせのアイデアやセンスにびっくりしたり、SOSを見ては感謝でいっぱいになり。そんな人間が作ってると知ったらがっかりするだろうと考えていました。

私が考えるゲームのプロデューサーというのは、その世界の神様でした。神様は万能でなければなりません。

私はエンジニアとしては、かなり守備範囲も広く、それなりに実績もあり表に出るのも好きで結構自信家ですし、かなりのハードワーカーで3人分程度の仕事はこなしますが、いかんせんゲームの世界でそんなものは意味がありません。

ただでさえ、楽しんでもらえるかが心配でがむしゃらになっているなか、そんな人間が作ってると知られてしまうことで1%でも楽しみを減らしてしまう可能性になることを恐れて、SNSなどでも極力自分を出さないようにしていました。

今となってはそれがよかったのか悪かったのかはわかりません。

しかし、最初のワールドクエストが登場して8年、新生ワールドクエストが出て6年以上経過し、周りを見渡せば生き残っているのは数えるほどしかない超有名タイトルくらい。

ワールドクエストは誰でも知ってるタイトルにはなりませんでしたが、楽しんでいただけていた方にはこれほどまで熱い愛情で愛され、長い間支えていただき、皆様とともにゲームだけでなく自分自身もそだてていただいたきました。

それをかんがえると私自身ゲームの世界でも小さくてもきれいな花を咲かせることができたんだと自信を持って言えます。

みなさま、これまで本当に本当にありがとうございました。
==================


〜こぼれ話 − タイトル名〜
プラットフォームでゲームを公開するためには登録の際に、ジャンルを選択する必要があります。当時、大ヒットゲームの多くが「RPG」ジャンルであり、「RPG」で公開することははじめから決めていました。

ゲームの完成が近づくにつれて、開発しながらタイトルをどうしようかといつも話していたのですが、ゲームの中身がガチ仕様すぎるから、タイトルだけでも受け入れやすくしようと、いうことで人気RPG「ド●●●クエスト」を意識して、「ワールドクエスト」となりました。

また、グリー版だけ「ワールドクエストG」とGが付いてるのは、グリーでは前作を過去に公開しているため、全く同じタイトルではリリースすることができないこと、また他のプラットフォームでも公開することをかんがえると、「2」にするわけにはいかないことから、GREEのGをつけて濁すか?という逃げの選択でした。


〜こぼれ話 − スキル名〜
かつて「密入国」という名前のスキルがありました。このスキルはその後名前だけを「シークレットパス」に変更しました。

これは実はあるプラットフォームから「違法行為の助長になる可能性がある」という理由で変更を指示されたということがあったためでした。

そのプラットフォームには、他人のものを盗み合うゲームやキャバクラゲームが上位にあることもあり、こっちはゲームを通して世界を体感、ためになるゲームなんだ!、そっちは社会規範に反するようなゲームもあるじゃないか!と激しい交渉し続けましたが、プラットフォームの窓口の方の真摯な姿を受けて冷静になってかんがえると、確かにノリで「密入国してきたよ♪」というプレイヤーが出てきてもおかしくないか、と考えてスキル名を変更することにしました。

実際、コアな旅人の中には、日本に帰るお金がなくなったから強制送還されるように仕向ける人もいるなんてことも聞いたことがありましたが、ワールドクエストを通して楽しい時間を過ごしてほしいのに、本人や周りが悲しいことになることはどうしても避けなければならないとかんがえるようになりました。



〜こぼれ話 − 開国〜
上の密入国の件にも通じる部分があるのですが、ワールドクエストを通して知った情報や旅友との会話のノリで、危険な国に行ってしまったり、危険な目にあってしまったら困ります。

1ヶ月かけてある地域の開国の準備を進め、明日開国をしますとお知らせを流したあと、その地域の1カ国目の開国する国でその日、大規模なテロが起きたというニュースが流れたことがありました。

前から準備していた開国でしたし、私達はテロのニュースに便乗して開国するものではなかったのですし、ワールドクエストのユーザーはそんなことを言うことはないと確信がありましたが、第三者が不謹慎だと指摘してもおかしくありませんし、それによってワールドクエストのユーザーが余計な中傷にさらされる可能性があるかもしれないと考えて、開国をやめたことがありました。その国はその後、1年以上経過してからひっそりと開国しました。

ワールドクエストがスタートした当初はそんなことを気にすることもありませんでしたが、世界情勢が急激に変化していく中で気にしないわけには行かなくなりました。

とはいえ、開国する国が100カ国を超えてからは、危険な国を避けようにも避けきれない状況にもなり、注意しながらの開国にはなっていました。

正直、そんなこと誰も気にしていなかったのかもしれませんし、私とスタッフの杞憂でしかなかったのかもしれませんが、世界旅行という題材を選ぶということはそういうことなのかなと思うのでした。

==================
今まであまり自分を晒してこなかったこともあり、最後に一言と思って書き始めたら、まさかの長文になってしまいました。
本当にこれまでありがとうございました。

株式会社マナブ・イガラシ 代表 五十嵐学
2019/05/07